2022年9月23日 「お能も骨董、歴史も骨董、人間だって骨董、、、」
~白洲正子の骨董に向き合う直覚
白洲正子は焼き物が好きで集め始めたのは戦後のことでした。
日本の焼き物に心惹かれて、本物を見極めるため、骨董の世界に足を踏み入れ
中国の唐三彩、李朝の白磁から古伊万里、織部、信楽などの古陶器まで
数多くの骨董は正子の目を鍛え、本物を見通す眼がありました。
そこから、かくれ里に生きる人々や共同体を描く数多くの著作が誕生しました。
正子は自分の意志を曲げることなく、真っ直ぐに生きたいという魂があり、
骨董の名師匠、青山二郎の弟子になるまで
言葉でけなされ、酒が飲めないとののしられ、泣かされたあげく、
三度も胃潰瘍になって血を吐いたこともありました。
正子は青山師匠が骨董を通して、ものを見る眼があると強く信じて
師匠を通じて骨董というものの本質に触れ、見ることの何たるかを学びました。
師匠は正子の心の眼を開かせる役割を果たした人物でもありました。
なぜ骨董に没頭したかを、正子はエッセイの中でつぎのように述べていました。
若いものは老いる。新しいものは古くなる。形あるものは滅びる。
これは如何ともなしがたい自然の掟で、「もののあはれ」の思想
はそうい日常生活の中から生まれた。(略)「花は盛りに、月は
くまなきを見るものかは」といって、不完全の美を愛した。あま
りに完璧なものはいいにきまっているが、完璧すぎると却って情
緒に欠ける。とはいえば、日本人が骨董に人間そのものをみてい
たことがかわるであろう。
正子は日本の焼き物を手で持ち、唇に触れて、それがはじめて生きる意味と述べ、
そもそも美しいものとは何か?と私は自問の時があり、
文化は人々の努力の積み重なりの上になったもので、
古典文学、芸能、絵画、骨董、美しいから、美しいものが残ります。
本当に偶然な機会で白洲正子の名を知り、彼女のエッセイを読み続け
時にはその行間の言葉はあまり多くのものを気が付かない私には響くことが多い
それにもかかわらず、これまで全く知らなかった骨董の世界を垣間見、
白洲正子の審美眼を支えるものに僅かながら触れられたように思います。