2022年8月17日 白洲正子からみちびいたお能
私は白洲正子さん「お能」についての随筆をいくつか読んでいましたが、
分かるようで分からないまま、
分からないなりに強く魅かれるものでした。
たぶんそれは文章のリズムと呼んでいいのかもしれません。
彼女は旺盛な、知的な好奇心ばかりではなく
その蓄積から生まれた能についての洞察力と情熱に感服しました。
能は、六百年を超える日本代表的な古典芸能の一つです。
面と美しい装束を用い、専用の舞台でカマエとハコビとなる動きにより
人間の哀しみや怒り、情や恋慕の想いなどを表現します。
舞台の上でえがかれる内面的、外面的な美は、
一本の橋となって観客をかぎりない想像の世界にみちびきます。
テレビ放送で見た能という演劇は、簡素な舞台装置、
面を被り顔の表情が読み取れなく、
動きや所作で表現する抽象的なイメージが強かったです。
上演スタイルを変えられないくらいに伝統として確立しているでしょう。
一方、中国では多くの人々に知れ渡っている京劇は、
能と同じ大掛かりな舞台装置がなく、役者たちの派手な動き、
甲高い声と独特な隈取といった古典芸能です。
能と京劇はどちらもユネスコ無形文化遺産に登録されています。
2020年、日本芸術文化振興会により、
かたや面をつけ、ゆったりと神秘な能の様相を見せる「静」、
かたや派手な衣装と化粧で、銅羅が鳴り響く中激しく立ち回る京劇の「動」、
その相反する性質をあえて融合した新たな伝統芸術の演劇が披露されました。
白洲正子は「お能の専門家に必要とするものは、創造する力ではなくて、
つきることのない忍耐と、お能に対する絶対の信頼と、
技術家の位置にあまんずるだけの謙遜と、それから体力であります」
と自伝に書き込んであります。
「静」に富んだ洗練されたものに磨き上げた「能」であったでしょう。
それに惹かれた白洲正子は井戸を掘るつもりで、能をとことん好きになり、
近づくと溶けそうなその情熱は年月が経っても褪せません。
次回、白洲正子と骨董品について探って見ます。